【コラム】同伴で食べすぎてはいけないのか?

仕事の締め切りに追われて3日間、ひとり自宅にこもっていた。全ての仕事を終えた時、その間自分がカップ麺しか食べていなかったことに気がついた。鏡の中の自分はゾッとするほど顔色が悪かった。

3日ぶりに髭を剃った俺は、かつて新宿2丁目のゲイバーで働いていた頃の常連客の1人に連絡を入れた。「ハラへった」と。

その夜は、現役当時からよく出勤前の同伴で連れて行ってもらっていた九州料理の店で、たらふく馬刺しを食べて、記憶がなくなるまで芋焼酎を飲んで、2人で大騒ぎをした。全身に血がみなぎり、生き返るような気持ちだった。

水商売人の中には出勤前のお付き合い、いわゆる「同伴」をめんどくさいと感じている人も多いようだが、俺は現役時代から同伴というやつが大好きだった。

水商売人が同伴で食べない理由

新宿という街で、誰かと飲んだり食べたりしていると、そんな同伴出勤中だと思われる男女を見かけることがある。

ある時は焼肉屋で、ある時は天ぷら屋で、ある時はチェーンの安い居酒屋で、ある時はホテルのバーで。

そこで見かけるホストもキャバ嬢も、みんな綺麗な男女だ。そして見た目だけではなく、食べ方も美しい。遠慮がちな少食で、ひと口が小さく、氷が溶けて色の薄くなったウーロンハイなんかをちびちびと飲んでいる。客はそんな彼ら彼女らに「遠慮せずもっと食べなよ」などと言っている。

みんなが遠慮がちなのは、決して少食だからではなく、その細く美しいプロポーションを維持するためでもなく、客の懐事情を気にかけているからでもないだろうことは、元水商売人としては、たやすく想像できる。

理由はおそらく「食べ過ぎ(飲み過ぎ)ると、この後店で飲めなくなるから」だろう。あるいは「ここで使う分の金を少しでも店で使って欲しいから」とか。

俺はカルビのおかわりを注文し、メガジョッキでビールを飲みながら、そんな光景を眺めている。

そして自分がかつて、そんな遠慮は全くしていなかったことを思い出す。

食卓を囲むということの価値

店からのバックがあるとはいえ、同伴でどんなにたくさん飲み食いしたところでそれ自体が金にはならないし、水商売人の本来の仕事は自分の店で酒を飲む、あるいは飲ませることだ。(最近はノンアル営業というのも流行っているらしいが)

だから同伴先の店で自分が飲み食いすることも、ご馳走してくれている客が飲み食いすることも、それ自体は実際デメリットが多い。そこではなく、自分の店で飲み食いして金を落としてもらう方が儲けに繋がるからだ。

それでも俺は、彼ら客との同伴で、たらふく飯を食べ、酒を飲むのが好きだった。時には千鳥足になるまで飲んで出勤し、オーナーや先輩に叱られたこともある。

美味しい食事や酒をタダで楽しめるから、というのももちろん理由のひとつではあるが、俺は誰かと温かい食卓を囲むこと自体に価値があると考えていた。人によっては、綺麗事に聞こえるだろうか?

水商売をするまで、俺はずっと食べることに関心がなかった。

それは俺がひとりっ子で、多忙な両親に育てられたために、幼少期から1人で食事をすることが多かったからかもしれないし、大勢の友人たちと賑やかに食事の時間を過ごすというような明るい性格でもないからかもしれないが、俺にとって食事はひとりで行う栄養補給でしかなく、飲酒はハイになるためのドーピングでしかなかった。

しかし水商売を始めて、頻繁に常連客たちと温かい食卓を囲むようになって、ようやく俺は食事を心から楽しめるようになった。

彼らは俺が美味しそうに食べれば食べるほど、喜んでくれた。それがとても嬉しかった。

遠慮なくガツガツと高い肉や寿司を食べる俺を見る彼らの優しい瞳は、ずっと昔、多忙な両親がなんとか時間を取って俺と食卓を囲む時に向けてくれていた視線に、少し似ていた。

自分がご飯を食べるだけでこんなに喜んでくれる人がいるということの幸福。

この仕事をしていてよかったと思える、そんな贅沢な時間だった。

食べることは生きること

誰かと食事を取れるということは、幸福なことだ。それが例え高価な食事ではなかったとしても。

店によっては月の同伴の回数にノルマがあるとも聞く。

どうせこなさなければいけないのであれば、その時間を楽しいものにした方が、ずっと意義がある。

食べることは生きることの基本で、人の体も、命も、心さえも、「誰と、何を食べたか」でできている。

夜の仕事をしているからとはいえ、そんな当たり前のことを忘れてしまうのはとても悲しいことだ。

確かに売上や、仕事上の効率を考えるのであれば、同伴では食事をできるだけ控えるのが正解だろう。

だから俺のように店に着いた時に戦力外になるほど泥酔する必要はない。

しかし誰かと囲む食卓を、人生であと何度あるかわからないその機会を、ビジネスとして、金のためとドライに受け止めてしまうのはあまりにも寂しい。

せめて目の前に出された料理をわずかな時間、目の前の相手と食べることを楽しむくらいのことは、許されるのではないだろうか。

それに同伴で遠慮なく食べることも、デメリットばかりではない。俺のようにこうして「食べさせがいがあるキャラ」を確立しておけば、いつか水商売をやめた後(売れないライターになったりしても)ひとこと「ハラへった」と連絡すれば、温かくて美味しいご飯を喜んでご馳走してくれる客も残る。

人は楽しい食事を共にした相手を簡単には忘れない。

そしてどんな環境にあっても、一緒に笑って食事を取る相手さえいれば、人は生きられる。

ABOUT US
元・新宿2丁目ゲイバースタッフ。ゲイ。現在は恋愛・性・LGBTなどを主なテーマにコラムを執筆するフリーライター。惚れっぽく恋愛体質だが、失敗談が多い。趣味は酒を飲むことと読書で、書店員経験あり。読書会や短歌の会を主宰している。最近気になっていることはメンズメイク。