新宿で朝までトータル12時間くらい酒を飲みまくったら、その後3日使い物にならなかった。年だろうか。
そしてそのせいでこの原稿の締め切りがギリギリである。
だからこうして懲りずにまた歌舞伎町へと舞い戻り、喫茶店でパソコンに向かって冷や汗なんかかいている。
飲んだ時の記憶はあまりないが、覚えているのは一緒に飲んでいた友人が早朝の街で鳥にフンをひっかけられたのを見て、爆笑したことくらいだ。
その時そばにいたキャッチかホストかわからないチャラい兄ちゃんが、ティッシュをくれたっけ。
まったく、千葉の田舎から上京してきたあの日から、この街は優しいのか冷たいのかいつもよくわからない。
新宿に割とよくいる人たちの人生 映画『さよなら歌舞伎町』
朝焼けの新宿という街でそんな出来事が起きるたびに思い出す、大好きな映画がある。
染谷将太・前田敦子主演、廣木隆一監督『さよなら歌舞伎町』だ。
家族や彼女には一流ホテルのフロントマンだと嘘をつき、歌舞伎町のラブホテルで働く主人公・徹。
ミュージシャン志望でメジャーデビューのチャンスを掴みかけているものの、プロデューサーに枕営業を迫られている彼女の沙耶。
それ以外にも、在日韓国人、時効間近の犯罪者、ラブホの清掃員、立ちんぼ、反社、未成年、デリヘル嬢、その客、警察官、AV女優など…個性的でありながら新宿という街には割とよくいる(?)登場人物たちによって織りなされる、なんともヤニ臭い群像劇である。
徹の働くラブホを中心に彼らの人生は少しずつ交錯していく。
その様は混沌としていながら、誰もが好むと好まざるとほんの少しずつ繋がってしまうという、歌舞伎町という街そのものの特徴をよく表している。
みんなが他者を排斥しているようで、そのくせほんのちょっとずつ繋がってしまっている。歌舞伎町にいる人間というだけで。
明け方の歌舞伎町で、ティッシュをくれたキャッチの兄ちゃんと俺のように。
一部登場人物の設定はヘビーに見えるかもしれないが、物語自体は軽いテンポで進んでいく。
ラブホ業の裏側を見られるのも楽しい一作だ。
新宿のラブホテルってなんでみんな、あの白っぽい、洋風黒電話みたいなやつ置いてあるの?なんか、わかる?あれ何?
我々はどこまで夜の世界に染まれるのだろうか?
ラブホといえば、昔アルバイトの面接を受けようと思ったことがある。
新宿で知り合った年上の友人が歌舞伎町にあるラブホの関係者だったので、夜勤で働かせてほしいと頼んだのだ。
しかし彼は俺をじっと見て「君に夜職は向いてない。可愛い顔してるし、昼間ス◯バとかで働けばいいんじゃない?」と言った。
俺が可愛い顔をしているという点については激しく同意ではあるが、クールで馴れ合わない夜の街に憧れていた当時の俺にとっては、腑に落ちない感じもした。
その数年後、俺はまだ新宿にいて、夜の街で働いていた。
そして新宿2丁目のゲイバーで働きながら、常連客の1人にガチ恋をした結果病んで辞めるという失態を犯した。
彼の言葉は正しかった。俺は昼間のスタ◯とかで働くべきだったのかもしれない。可愛い顔をしているのだから。
だがそういう生き方も、俺はどうしても選べなかった。
昼職、スーツにネクタイ、という生き方も未経験ではないが、どうしても馴染めなかった。ちなみにスーツ姿も俺は可愛い。
そして今なお、こうして新宿という街にしがみついている。
俺もいつかこの街に「さよなら」を告げる日が来るのだろうか
この映画にはそんな俺と同じくらい不器用な人間が、大勢登場する。
夜の新宿というのは自ら選んで踏み入れるわけではない。必要に迫られていつの間にかそこにいる、というのが正しい。
声高に新宿や歌舞伎町への愛を口にしていたとしても、誰もどこかで「ここは自分の本来いるべき場所なのか」という疑問をいつも拭いきれずにいる。
作中で一番印象的なシーンがある。
彼氏には内緒で、デリヘルで働いていている女性。夢であるブティックを、故郷韓国で開店させるための資金稼ぎだ。
だけど彼氏はそのことを知っていた。彼女の夢を応援したくて、知っていながら気が付かないふりをしていたのだ。
3年間で資金が溜まり、最後の出勤は徹の働くラブホテル。
彼女は徹に「ここでのことは全部忘れるつもりだから。さよなら」と笑顔で言って、指定された部屋へと向かう。
そこで待っていたデリヘル嬢として最後の客は、彼氏だった。
そのことに気がついた彼女は、風呂場で泣きながら彼に自分を綺麗に洗ってくれと懇願する…。
夢を追う若者をいつでも受け入れてくれる街でもある歌舞伎町の、同時に持つ残酷さが鮮やかに描かれている場面だ。
誰でもここにいていい、と居場所を与えてくれる街でありながら、同時に、いともたやすく、確実に俺たちの心も体も汚していく。決して優しい街ではない。
その汚れが、匂いが、全身に染み付いて取れないような…時々そんな気がする。
優しくていつでも抱いてくれるけど、決して恋人にはなってくれないセフレのようだ。
本当の意味で夜に、新宿に、歌舞伎町に染まり切れるクールな人間なんているんだろうか?
だって毎日のように居たはずなのに、ある日突然消えて、そして二度と戻ってこない奴がこの街にはあんまり多すぎるじゃないか。
この2人も歌舞伎町を捨て、故郷である韓国へと帰っていく。新しい人生を生きるために。
物語の最後には、徹をはじめ、他の住人たちもそれぞれの形でこの街を捨てる。
この街を地獄と呼ぶ奴がいる 楽園と呼ぶ奴もいる
結局夜の世界にも昼の世界にも馴染みきれなかった俺は、どっちつかずの中庸の世界で、ケチな物書きなんかして生きている。
だがこうして歌舞伎町という街の喫茶店で、Macのキーをタイピングしながら、この街は昼が終わっていくこの瞬間が一番美しく、居心地がいいなどとも思う。
新宿、そして歌舞伎町。
この街を地獄と呼ぶ奴がいる。楽園と呼ぶ奴もいる。
だがどちらも違う。新宿はいつも新宿でしかない。
この映画の登場人物たちは決して、絶望的なほどに不幸というわけではない。だがもちろん、手放しで幸福でもない。
何かいいことがあると、同じくらい悪いことが起きたりして、それぞれにジャブのように効いてくる。
小さな幸せを与えてくれたと思ったら、同量の何かをちゃんと奪っていく。優しく抱きしめてくれたと思った次の瞬間、冷たく突き放す。それが新宿だ。
何もかもが飽和状態になっている現代の日本で、そんなシンプルなルールを持つ街だからこそ、いつの間にか引きつけられてしまうのではないか。何かを、現在を、「変えたい」と願う人間たちが。
人生はいつも取捨選択の連続でしかない。
何を手に入れて、何を捨てるか。誰と出会い、誰と別れるか。そういうことでしか人生は変化していかない。
もちろん、正解は各々の中にしかないのだろうし、そんなものはハナからないという可能性もある。
もしその正解とやらを見つけた時、俺は新宿や歌舞伎町に「さよなら」を告げるのだろうか。「自分が本来いるべき場所」とかを見つけて。この映画の登場人物たちのように。
だがそのためには、まだまだこの街の細かいジャブをくらい続ける必要があるのだろう。鳥にフンをひっかけられたりしながら。
難儀な話だ。だが、嫌いじゃない。
今日も夜のとばりが降りていく。
新宿、そして歌舞伎町。
この街を地獄と呼ぶ奴がいる。楽園と呼ぶ奴もいる。
だがどちらも違う。新宿はいつも新宿でしかない。