【コラム】もらったチップ、その本当の価値とは?

クローゼットの奥の方にしまい込んでいた服を断捨離していたら、数着の服のポケットから、くしゃくしゃになった千円札や5千円札が出てきた。

そのどれもが、かつて新宿2丁目のゲイバーで働いていた頃に着ていた派手な服ばかりだった。店を辞めてからはどれも着ていなかったし、クリーニングにも出していなかった。当時、仕事中に客からもらったチップをポケットに突っ込み、そのままになっていたのだろう。

もう着ない服の山をゴミ袋に詰めてから、回収できたお札の額を数えたらまあまあな額になったので、夕飯は焼肉でも食べようかな、と思った。

カルビ、生ビール…と生唾を飲み込みながら、くしゃくしゃになったお札を伸ばしていたら、夜の世界で働き始めた頃、初めてチップをもらった時のことを思い出した。

これを読んでいる水商売人は、初めてのチップを誰にもらったか、そして何に使ったか、憶えているだろうか?

そしてチップという金の価値について、考えたことがあるだろうか?

夜の世界の金

カネ。これほど万人に愛されるものもないだろう。

しかし昼の世界ではよくその金をどのような手段で手に入れたか、何に使ったか、ということで「綺麗な金・汚い金」「生きた金・死んだ金」などという言われ方もする。

対して夜の世界では金はすべて金でしかない。繁華街のネオンの下では、何よりも金が平等だからだ。

1番たくさん稼いだ水商売人が1番すごいし、1番たくさん使った客が1番えらい。

そこには学歴も、資格も、家柄も関係ない。実にわかりやすくて、フェアで、それはそれで俺は好きだ。

しかし同時に、金というものが冷たく、むなしく感じるのも事実だ。

チップをもらうシチュエーション、というのは様々だ。勤めている店のルールによっても違うだろう。もらった本人の総取りにできる店もあるし、スタッフ全員で均等に分けるという店もある。

かくいう俺は、実はそれほどチップというものをもらった記憶はない。優秀な水商売人ではなかったからだ。

酒は強かったが、人と話すのも苦手だし、地味だし、イケメンでもない。金に対する執着もない。

キャバ嬢だろうがホストだろうがゲイバーの店員だろうが、チップをたくさんもらえるのはやはり、綺麗だったり、明るかったり、マメだったり、お金が好きだったりする、プロ意識の高い人々だ。暗くてノリの悪い俺は、客からの人気があまりなかった。

そんな男がなぜ水商売をしていたのかといえば、少々恥ずかしいが「生きる意味を探していた」とでもいうところだろうか。

自分の生きる道ややりたいことを探して、10代で東京に出てきた。たくさんの仕事を転々としながら、行き着いたのが夜の街だった。俺のように、青臭い自分探しで夜の街に迷い込んでくるような、そういう水商売人は意外と多い。

「自分に必要だと思うものに使いなさい」

そんな俺が初めてもらったチップは、働き始めて半年経った頃。

見送りに出た店先で常連客のひとりが、突然5千円札を突き出してきた。いつも俺の顔を見て「君はこの仕事に向いてないね」と笑い、それでも高いボトルを入れてくれる客だった。半年間辞めなかったお祝いだという。

「夜の世界には、このお金でお返しを買ったりするルールがあったりするのでしょうか?」と、初めてのチップを握りしめて、俺は馬鹿正直にその客に聞いた。

彼は「自分に必要だと思うものに使いなさい」と言った。

半年間、俺はほとんど店に貢献していなかった。ただ地味な服を着て、突っ立ってビールを飲んだり、ぼんやり酒をかき混ぜたりしていただけだった。

夜の世界でも昼の世界でも、やりがいや生きる意味など、別に見つかりそうになかった。店も辞めようかと考えていた。

この5千円で電車に乗れば、全部捨てて故郷に帰ることもできる、と思った。

そこで適当に就職して、女の子と結婚したりするのも良いかもしれない、と。

無意識に握りしめてくしゃくしゃになった5千円札は、田舎からひとり電車に乗って東京に出てきた日、握りしめていた切符にどこか似ていた。

しかし俺は帰らなかった。そして彼のいう通り「自分に必要だと思うもの」に使うことにした。

もらったチップは故郷へ帰る切符の代わりに、全然趣味じゃない、いかにも水商売人というような、派手なシャツに化けた。俺はそのシャツを着て、店に出るようになった。もう少しだけ、夜の世界で戦ってやろうと思ったのだ。

すると不思議なことに、少しずつ水商売人らしい振る舞いができるようになっていった。

いろんな客がチップをくれるようにもなった。俺を好きだからと言ってくれる客もいたし、露骨に性的な手つきでパンツのゴムに札を挟んでくるようなゲスな客もいたが。

そのチップのすべてを俺は、給料とは別にし、自分のためにだけ使った。自分が夜の街で働き続けるための金としてだけ使った。

服や、香水や、美容院や、吸い慣れないタバコや、そういう、いかにも夜の世界っぽいものに。そして俺は少しずつ、強くなっていった。水商売人として、一流とは言わないが、なんとか三流くらいにはなれたと思う。

たった1枚のチップが持つ力

湯水のように金が動く水商売というのは、金銭感覚が麻痺しやすい仕事だ。

右から左に金が流れてはあっという間に夜の闇の中に消えていく、そんな世界で、1人の客がくれるチップなどたかが知れている。ポケットに入れたまま忘れてしまうような金額だ。たかが千円や5千円で何が買える、何が変わる、とも思う。

しかし、そのたかが知れている金額のチップ。それが時に、俺たち夜の世界の人間の、忘れかけていたものを思い出させてくれるのではないか。

金というものが、なんの温度もない、数字の書かれた紙切れとしての価値しかない夜の世界で、わずかな温度を持つ瞬間。それは俺を好きだと言う客が直接手渡してくれる、たかが千円や5千円。その金は時に、店からもらえるまとまった金額の日当や月給よりも尊い価値や重みを持つ。

あの日もらった、たった1枚の5千円札。それが俺を支えた。

あの時あの金で故郷に帰ったとしても、その選択ももちろん間違いではなかったのだろう。

しかし俺は、派手なシャツに使ってよかったと今も思う。そうでなければ、こうして水商売についてのコラムを書くような未来、すなわち今の俺はなかっただろう。そして俺は今の俺が、結構好きだ。

夜の世界にはかつての俺の何十倍、何百倍も稼いでいる水商売人は、いくらでもいるのだろう。そんなプロフェッショナルにこそ、たった1枚の手渡された千円札や5千円札の本当の価値を、見失わずにいてほしいと俺は思う。金は冷たく、むなしいだけのものではない。

過去のチップを回収した俺は、その足で焼肉…ではなく、かつて俺が働いていた街、新宿2丁目に向かう。

夜の世界を卒業した今の俺には、彼らがくれたこの金はもう、必要ない。

だから俺はかつての俺のような、暗い目をした水商売人に渡してやるのだ。「自分に必要だと思うものに使いなさい」と。それがもしかしたら、そいつの人生を支えることになるかもしれない。

昼の世界の人々が言う「綺麗な金」「生きた金」というものが実在するのだとしたら、それはこういう金のことを呼ぶのだろう。

ひとり焼肉を食べてビールを飲み、下腹に贅肉をたくわえるのに使うよりも、ずっと価値のある散財だ。

ABOUT US
元・新宿2丁目ゲイバースタッフ。ゲイ。現在は恋愛・性・LGBTなどを主なテーマにコラムを執筆するフリーライター。惚れっぽく恋愛体質だが、失敗談が多い。趣味は酒を飲むことと読書で、書店員経験あり。読書会や短歌の会を主宰している。最近気になっていることはメンズメイク。