【コラム】シーシャを吸ったら魔神の世界へ旅立った話

雨の日はシーシャが美味い……らしい。

かつて付き合っていたヘビースモーカーの男も、雨の日は煙草がうまいと言っていた。そういうものか。
なんにせよ、とてつもない雨男の俺とは相性がいいようだ。シーシャも、スモーカーの男も。

夜職の男女やその客たちの間で、シーシャが流行っているらしい、という話を聞いて俺はすぐに食いついた。
以前からシーシャバーには挑戦してみたいと思っていたのだ。なんとなくタイミングを見つけられずにいたが、コラムの取材ということなら経費が出る。この機会を逃す手はない。

というわけで、今回はシーシャの初体験ルポである。今宵はみなさんをエキゾチックでセクシーな中東の世界へと、しばしお連れしよう。a whole new world。
もちろん、取材当日は雨だった。

初めてのシーシャ フレーバーは危険な香り

シーシャとは中近東発祥の、いわゆる「水煙草」である。
煙草の煙を水にくぐらせて喫煙する嗜好品で、シーシャバーではそれに好みのフレーバーで香り付けをすることが可能だ。

このシーシャというやつが流行り始めたのは、いつの頃からだったろうか。今ほどメジャーになったのは、ここ数年のような気がする。
なんにせよ俺が夜職を離れていた数年の間に、夜の世界を生きる人々の間では、急速に浸透していったようである。

ちなみに俺がシーシャを知ったのは、『SEX AND THE CITY』劇場版2(ゲイの大好きな作品)で、主人公たちが中東・アブダビへ旅行へ行くシーンだ。あの映画では下ネタに使われていたが……。

シーシャに興味を持ちながら、なかなか足を踏み出せなかったのは、中東の市場を連想させるそのアングラなイメージからだった。
薄暗い店で、なんかちょっと怖い人たちが虚ろな瞳で煙を吐き出している……という、アヘン窟みたいな、すさんだ雰囲気を想像していたのだ。

しかし、俺の行った店は店内の照明こそ控えめだったが、清潔で、綺麗なお姉さんが初心者の俺にも親切に教えてくれるような、非常にラフな雰囲気だった。よかった。

アラビアンナイトのヘビ使いと魔法のランプ

甘いものがあまり得意ではない俺は、ミントやバジルなど、爽やかそうなフレーバーをチョイス。
シーシャ本体のボトルから繋がる吸い口の付いたホースが、魔法のランプに巻きつくコブラのように見える。さながら俺はアラビアンナイトのヘビ使いか。

マウスピースを咥えて、おそるおそる煙を吸い込むと「もう少し強く吸って大丈夫です」と言われたので、思い切って肺まで入れる。するとボトルの中の水がぶくぶくと音を立てて泡立ち、肺の中いっぱいに、フレッシュでほのかに甘い香りが広がる。

すごい、なんだか本当に魔法みたいだ。

ゆっくりと煙を吐き出すと、口や鼻から香りは抜けていき、ほんのわずかな余韻や甘みを残して、煙は中空へと霧散していく。

俺は元喫煙者だが、紙煙草のように、いつまでも肺や口の中に張り付く、目の覚めるような主張はない。
ぼんやりと体の中を、爽やかで、青臭くて、ほのかに甘い香りが通り抜けては消えていく。

何口吸っても口の中がイガイガしないし、紙煙草特有のクラクラする感じもない。(ニコチンは含まれているので苦手な人はニコチンフリーのフレーバーを頼むといい)

ミントのフレーバーは魔神の見せた夢か幻か、あるいは蜃気楼

慣れてきてうまく吸えるようになると、リズムがつかめてくる。
まるで今にも陽気なランプの魔神が登場しそうな煙に包まれながら、ミントとバジルの香りに満たされていると、だんだん現実と幻の境界が曖昧になっていくような感じすらした。

あれ、俺今、どこにいるんだっけ?

どこか遠い、南の島の美しい海沿いの街で、俺は日に焼けたいい男と、モヒートを飲みながらサルサなんか踊っている。
彼の手は俺の腰に。光る汗が日差しを反射して眩しい。よく冷えた1杯のモヒートを分け合いながら、俺たちは愛を囁きあっている……。

そこまで夢想して、煙が途絶えると、はっと正気に戻る。慌ててもうひとくち吸うと、再び俺は美しい海沿いの街へ。
そんな不思議な脳内トリップを繰り返しながら、俺は1時間の爽やかなシーシャ体験を終えた。サルサは踊り疲れたし、モヒートはもう何杯飲んだか数えてない。

一瞬のように短かったような気もするし、永遠のように長かったような気もする。

シーシャの煙は、なんだか明け方に見る夢に似ていると思った。
誰もが夢に、恋焦がれる相手が登場したことがあるだろう。それは身近な相手だったり、時には芸能人だったり、キャバ嬢やホストなど自分が貢いでいる水商売人だったりする。
そういう夢は大体いいところで終わってしまう。あともう少し、あと少しで触れられるのに手に入るのに、というところで必ず目が覚めてしまう。

それはそう、まるで砂漠の蜃気楼のように。

しかし俺たちは、それが儚い夢だと分かっていても、再び目を閉じた時、夢の続きを見ることを望んでしまうのだ。
ランプの魔神に「本物も出せるよ?夢でいいの?」と笑われたとしても、俺たちは「夢でいい、蜃気楼でいいんだ」と願ってしまう。本物より夢や蜃気楼の中の彼らの方が、美しいと本当は知っているから。

ちなみに別の日、今度は薔薇やバニラを使った華やかなフレーバーに挑戦した。
その時俺が煙の向こうに見たのは、ターバンを巻いた肌の浅黒いイケメン。俺は石油王(億万長者)のシークと、砂漠の真ん中をイチャイチャとラクダで2人乗りしていた。

シーシャの煙が見せる夢や幻は人それぞれの願望によって違うだろう。
男ったらしでいつでもいい男に飢えている俺の場合、フレーバーの数だけ素敵な殿方とデートができるようだ。魔神も呆れているに違いない。

ヤマアラシのシーシャと、ヤマアラシのジレンマ

俺が海沿いの街でいい男といちゃついてる間に、いつの間にか若い女性がふたつ隣の席に座っていた。
吐きだす煙は甘いココナッツとメロンの香りがして、ソファに深く沈み込んだ彼女は固く目を閉じ、外界を完全に遮断しているようだった。

地雷系のメイク、浮世離れしたファッション、手首に巻いた包帯、幼さと世慣れた諦観が共存している独特の雰囲気……完全に主観なのだが、どことなくホス狂いっぽい雰囲気の子だなと思った。

そこで俺は、先日ネットで読んだ、『ヤマアラシのシーシャ』(原作・佐々木チワワ、漫画・フォーティーン)という漫画を思い出す。

主人公の女性は風俗で働きながら担当ホストに貢いでいるが、担当との関係は微妙で、満たされない思いを抱えながら深夜の歌舞伎町を彷徨う内、一軒のシーシャバー「ヤマアラシ」へと辿り着く。

不思議な雰囲気の店主に勧められるまま、彼女は人生初めてのシーシャを口にする。
彼女が選んだフレーバーは、アップルシナモンバニラ。甘い煙に包まれながら担当への心情を吐露するうちに、少しずつ心の隙間がアップルの香りで満たされてていくという物語だ。

「ヤマアラシのジレンマ」という言葉をご存知だろうか。
ヤマアラシという生き物はその身に生えた針ゆえに、他のヤマアラシと触れ合おうとするとどうしても互いを傷つけ合ってしまう、というひとつの哀しい寓話である。

この物語がその言葉を意図しているのかは知らないが、夜の世界を生きる人間たちは、そんなヤマアラシに似ている。
夜職というのは少なからず誰かを騙したり傷つけなければ成立しないし、通う客たちもそれは承知の上である。同時に主導権はいつも金を払う客側にあり、いつでもホストやキャバ嬢に見切りをつけることができる強い立場でもある。
同じものを愛しているはずなのに、担当の被りとなれば、客同士すら深く傷つけあうこともある。

こんな残酷なシステムがなぜ出来上がったのかは知らないが、それでもある種の人間たちにとって、夜の世界だけが居場所になっていることも確かだ。
俺も、かつてその1人であった。
夜の世界でしか生きられないのに、夜の世界を生きる限りは永遠に自分と同じような人間たちと、傷つけあわねばならないことに疲弊していた。

夜の街という小さな砂漠は、いつでもそんなヤマアラシたちの血で真っ赤に染まっている。
千夜一夜物語(アラビアンナイト)に登場するペルシャの王シャフリヤールは、毎日1人ずつ女性を殺害していたというが、果たしてどちらで流れた血の方が多いだろうか?

俺の横で目を閉じている女性の、煙の中に閉じこもり外界を完全に遮断している姿は「私は誰にも傷つけられたくないし、誰のことも傷つけたくない」そう言っているように見えた。
夢の中だけは、誰にも邪魔されない1人だけの世界だ。誰かを傷つけなくていいし、誰にも傷つけられなくていい。

そんな彼女とは対照的に、煙の量とフレーバーの風味が薄くなってきたシーシャの煙を吸い込みながら、俺の魔法は解けていく。
だが夜見る夢と違い、必死に追いかけようとは思わなかった。淡く消えていく夢の魔法は、またここで同じフレーバーを選べば見ることができるとわかったから。

雨の日は、シーシャがうまい

店を出ると、雨は上がっていた。

雨上がりの濡れた新宿は、びっくりするくらいに静かだった。まるで本物の砂漠みたいに。
こんな天気が悪い日は、みんなシーシャの魔法で夢を見ているのだろうか。

ホストも、キャバ嬢も、その客も、トー横キッズも、風俗嬢も、キャッチも、スカウトも、立ちんぼも、それらを取り締まるお巡りさんたちにだって、1人で密かに見たい夢はあるだろう。
誰もが邪魔されずに、自分1人になれる場所。それがシーシャ
なのかもしれない
そして信頼できる友達や恋人と一緒なら、ひとつの夢をいっとき共有することもできるのだろう。

最後に残ったミントの夢の残り香を唾液と共に飲み込んで、俺は歌舞伎町からゴールデン街、そして新宿2丁目へと消えていく。

なるほど。確かに、雨の日はシーシャがうまい。雨男の俺とは相性が良さそうだ。
自分だけの魔法(フレーバー)を、これからゆっくり探していこうと思う。

ABOUT US
元・新宿2丁目ゲイバースタッフ。ゲイ。現在は恋愛・性・LGBTなどを主なテーマにコラムを執筆するフリーライター。惚れっぽく恋愛体質だが、失敗談が多い。趣味は酒を飲むことと読書で、書店員経験あり。読書会や短歌の会を主宰している。最近気になっていることはメンズメイク。