「へー、いい感じの店じゃん。雰囲気がいいよね」
夕日の差し込む、客のまばらな洋食店にて。周囲をぐるりと見回しつつ直樹がそう言うと、ミユキはちょっと得意気に微笑んだ。
「でしょー?ここ、昼間だと行列してて、1時間待ちとかザラなんですよ」
「えっ、1時間待ち!?そんなに!?」
「そうなんです!だけど、今の時間帯だから余裕で入れちゃうっていう」
「そうなんだ!じゃ、まさに同伴向けの店ってことだ」
「そうですね。名前もちょっと夜っぽい感じだし」
「えっ、この店、名前なんつーの?」
「グリル小宝です」
「ちょ…っ、小宝をセクシーって解釈するの、ミユキちゃんくらいだろ」
メニューの中には、オムライス、ハンバーグ、スパゲッティなどの写真が並んでいた。
オムライスの値段は、小サイズだと680円、中サイズでも1,050円と、庶民的な価格に設定されていたが、ミユキの視線は始めから「マカロニグラタン」に注がれていた。
思春期の頃、時々親に連れて来てもらっていたこの店で、ミユキはオムライス以外のものを注文させてもらったことがなかった。
そんな中、メニューの中で一際光っているように見えたマカロニグラタンは、ミユキにとって長年の憧れとなっていたのだ。
「俺は…そうだな、オムライス食いたいし、オムライスにしよっかな。ミユキちゃんは?」
「…あ、じゃあ、私も」
ミユキは、キャバ嬢の中でも、繊細で空気が読めるタイプだった。どうしても食べてみたかったマカロニグラタンは、オムライスと違って2,500円という、かなり強気な値段設定になっている。
しかし、お客さん以上に高価なものを平気な顔でオーダーできるほど、ミユキは図太い神経を持ち合わせている女性ではなかった。
「お待たせしました、マカロニグラタンでーす!」
その時、たまたま隣のテーブルに運ばれて来たマカロニグラタンを、ミユキが無意識のうちに凝視していると、直樹はフフッと笑いながら小声で囁いた。
「ミユキちゃん、あれ食いたいんだろ」
「えっ、なんでわかるんですか!?」
「顔見てりゃわかるよ。いいって、あれ注文しなよ」
「えーっ!?でも、めちゃくちゃ高いですよ、マカロニグラタンは…」
「高いって、これだろ?2,500円じゃん。いいよいいよ、すいませーん!注文お願いしまーす」
直樹は近くにいた店員を呼びよせると、慣れたような口調でマカロニグラタンを2つ注文した。
「いいんですか?本当に…」
「なんだよ!水クサイ。俺、店でもっと高い酒注文してんじゃん」
「そうですけど…」
「つーか、水商売の人に水クサイっていうのも、あれか」
「あっははは!」
そんなに、手を叩いて笑うほどのギャグでもなかったのだが、ミユキは念願のマカロニグラタンをもうすぐ食べられる嬉しさで、のけぞるようにして声高らかに笑った。
「あのグラタン、ミユキちゃんみたいな味だったな」
店を出た後、直樹はグラタンに対する最上級の褒め言葉として、ミユキの名前を出した。
「えっ!どういうことですか?」
「奇をてらってなくて、王道っていうか。ミユキちゃんもそうじゃん。正統派の美人でさ、個性だけで売ってないでしょ。見た目も接客技術も、基本に忠実で、軸がブレてないんだよな」
ミユキは、直前に食べたマカロニグラタンの、夢にまで見た濃厚な味わいを舌で思い出しながら、こっそり涙ぐんだ。
「そんなこと言ってくれるの、直樹さんだけです」
「そういう返しするとこも好きだよ」
「ふふ…っ、今夜はあれですね。子宝に恵まれちゃうかもしれないですね」
「その返しにはヤケドしそうだな。マカロニグラタンだけに」
「っていうか、私、口の中ちょっとヤケドしてます」
「すごい勢いで食ってたもんな!ははっ」
タクシーの中でミユキは、こんがりと表面の焦げた、美味しそうなマカロニグラタンの写真を投稿し、「こんな女です」と、自分にだけわかる最高のキャプションを付けるのだった。