出勤前に、ボリュームのある料理や、匂いの強い料理はできるだけ食べないようにしているミユキだったが、今日の同伴客は食通な友広ということで、ミユキは自分の中での「切り札」を出すことにした。
ホルモン焼肉の名店『たまらんアジェ』は、あまりにも人気があるため、隣のテナントを待合室として利用しているほどの名店だ。
予約はなかなか受け付けてくれず、当日待たずに食べたければ開店前から早目に店へ行って、直接名前を記入するしかない。
ミユキはぬかりなく、開店15分前に名前を書くと、そこでホッと息をついた。
「よし、これでもう大丈夫」
待ち合わせ場所である鴨川の橋の上で、溜まっていたLINEの返信なんかをしながら、夕方の風に吹かれ、たそがれる。
「お待たせ、ミユキちゃん」
「あー!お久しぶりですー」
「今日、俺めちゃくちゃ楽しみにして来たんだよー、ミユキちゃんが大絶賛する店だから」
「私も楽しみでしたー!友広さんにどうしても食べてもらいたかったから。アジェのホソ」
「ホソ?」
「アジェと言えばホソなんで。さ、行きましょ!もう名前も書いて予約完了してますから」
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ビールで乾杯した後、そのビールの美味さを情緒たっぷりに表現する友広を見て、ミユキはいつも以上にニコニコしていた。
こういうシチュエーションで大袈裟なリアクションをするのは、いつも基本的にキャバ嬢であるミユキの役割なのだが、友広と一緒の時だけ、ミユキは美味しそうに食べる友広の姿を眺める側に回るのだった。
「はーい、こちらがホソ用のタレでーす。こちらが付けダレ用でーす」
初めての店で、一瞬戸惑っている様子の友広に向かって、ミユキは真剣にレクチャーをした。
「友広さん、こっちがホソ用ですから。間違えないでくださいね」
「めちゃくちゃ真顔だな。わかった!これは重要なんだな」
「だって、完璧な状態で食べて欲しいじゃないですか」
「わかる、そういうのって大事だからね」
網の上でしたたる油の中、ゴウゴウと音を立てて燃えているホソを、ミユキは注意深くトングで1つ1つひっくり返していった。友広は「俺がやるよ」と言ってくれたのだが、ミユキは軽く左手でそれを制する。
「いえ、大丈夫です!まず先に皮の面から焼いて、底に汁を溜めて…とか、色々あるんで」
「すげー、こだわるじゃん!ヤバイな、めちゃくちゃ楽しみになってきたよ」
手持ち無沙汰なのか、燃え盛るホソをカシャカシャとスマホに収めている友広から、無限大の期待を感じつつ、ミユキは絶妙のタイミングで、一番に焼き上がったホソを広いあげた。
「さあ!いっちゃってください!」
「いいの!?もういっちゃっていい!?」
「熱いうちに…、さあ早く…」
2番目に焼き上がったホソを、少々ガサツに自分のタレ皿の中へ放り込むと、2人は同時に熱々の塊を頬張った。
「んんんーーー…っ!!!!!」
「…うんっまーーーーー!!!!!」
ミユキは、美味さで悶絶しまくる友広をしっかりこの目に収めなければと思っていたのだが、自分自身も昇天してしまったため、この時の記憶は実際ほとんど脳内に残せなかった。
「なんだこれ!この世に、こんな美味いものあったんだ」
「んー…!んーっ!わかってもらえまひた?友広はん…」
口内をヤケドしないように気をつけつつ、ミユキは友広と特別な幸せを分かち合った。
「これは、死ぬ前に食べたいものベスト3に絶対入るな」
「わかりまふ、わたひもれふ…」
梨ジュースで口の中をサッパリさせてから、ミユキはまた真剣な眼差しに戻る。
「でもね、友広さん。このホソは、食べれるうちに食べたいだけ食べておいた方がいいです」
「え、どういうこと?」
「死ぬ前どこじゃなく、あと10年も経ったら多分もう美味しいって思えなくなっちゃうんですよ、この脂の感じ。うちの親とも一緒に来たことあるんですけど、全然わからなかったみたいですもん、この価値が」
「なるほど…!」
夜の鴨川沿いを歩きながら、友広はミユキに聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで、意味深なことを、噛み締めるように囁いた。
「死ぬ前に…と思って、残しておいちゃいけないんだな。なんだって、そうだ」
脂たっぷりのホソの余韻に浸りながら、ミユキは今頃きちんと消化活動をしてくれている胃や腸があることにそっと感謝をした。