自分らしく生きる!ミセスコングランプリ美容番長【愛川みれい】

東京から有名地方都市まで、広く活躍の場を広げる愛川みれいさん。完成されたルックスと抜群のスタイルはもちろん、様々な経歴をお持ちで、男性だけでなく女性からも注目を浴びる存在となっています。SNSでの発信も頻繁で、丁寧で品のあるレスポンスや魅力あふれる投稿からフォロワー数も日々増加中!今日は愛川美鈴さんを様々な角度からお伝えしていきたいと思います。

プロフィールと経歴

職業:キャバクラ人事部長/カラー・スタイルアドバイザー/アパレルプロデューサー

在籍:GLAMOROUS (グラマラス) 名古屋 錦/人事部長

生年月日:1990年7月23日

身長:158cm

出身:石川県

美容専門学校を卒業後、エステティシャンとして働きながら歌舞伎町の朝キャバでデビュー。その後六本木の「R(アール)」にて本格始動、キャバ嬢一本での勤務をスタートさせます。その後友人の紹介からローカルな雰囲気が魅力の錦糸町に移籍。ナンバーワンとして経験を積んだ後、デビューの土地である新宿歌舞伎町「CELUX」に移籍します。

歌舞伎町でひと区切り付けた後、専門学校時代の友人からの連絡がきっかけとなり、名古屋へ行くことに。偶然のタイミングで訪れた名古屋旅をきっかけに名古屋錦の超高級店「GLAMOUROUS」にてメインキャストとして在籍することとなります。その後東京に戻り自身の成長の為勉強を続けながら夜職とモデル、アパレルブランドの立ち上げ等マルチに活躍されています。ふらっと旅行気分で遊びに行った場所で活躍する姿は一見自由で奔放な経歴に見えますが、どこにいても成長し続けるみれいさんだからこそ成し遂げられた偉業ですね!

Instagram:https://www.instagram.com/mirei.aikawa/

You Tube:https://www.youtube.com/@mi-sanpo

※この記事は2021年6月に書かれたものです。

キャバ嬢デビュー前の専門時代

美鈴さんはもともと夜のお仕事にも興味を持っていたそうですが、美容専門学生時代は当時の彼の気持ちも考え、パチンコ店でコーヒーレディをしていたそうです。美鈴さんが学生の時代、おしゃれを楽しみつつも高時給で働ける場所と言えばパチンコ店というのがみんなの認識。

特にギャル真っ盛りの美鈴さんにはうってつけのアルバイトだったようです。専門学校卒業後、エステティシャンとして働きながらも生活のために始めることになったキャバ嬢ですが、当時はあくまでもメインのお仕事はエステティシャンと考えていたので、キャバクラでの働き始めも朝キャバ出勤にとどめていました。

副業的に始めた朝キャバですが、自然とやっているうちに人気も上がっていき気が付くとナンバー2にまでなる程に。その頃にはメインのエステティシャンよりもキャバ嬢のほうが向いていると感じるようになったそうです。自分の決めた仕事で生計を立て、同時に将来のことを考えるというのが専門職の悩みであると思います。また自分自身に合った仕事を選択するというのは、どんな年齢であっても難しいことですよね。美鈴さんは自身の経験だけに縛られず、自分の気持ちに素直に向き合うことを大切に思っていたのかもしれませんね。

六本木で本格始動

朝キャバで週6日勤務を続けていた美鈴さんですが、水商売をやるにあたって卒業年齢を考えていた時もあったようです。当時は、23歳になったら水商売から足を洗わなければ!と決めていたので一時期はスパでセラピストとして昼職のみで働いていた期間もありました。

昼職に集中して働いていると、突然昼のサロン勤務から夜帯の出張型業務体系に切り替わるという話が美鈴さんのもとに舞い込んできます。せっかく昼にちゃんと働けている実感が湧いてきたところにだったので、夜型になってしまうのならメリットを感じられないと思った美鈴さん。

せっかくならば今度は夜キャバとして六本木に行ってみようと決意したそうです。入ったお店は歌舞伎町ともノリが近くうまく慣れ親しむことができたようですが、新規の顧客が少なかったこともあり、伸び悩んだ時期があったよう。そこで次の転機となったのが錦糸町に新規でオープンするお店の話でした。待遇を目当てに移っていたので、当初はそこまで長く務めるつもりはなかったということですが、リピーターをしっかりつかんで大ブレーク。ガツガツと営業を仕掛けない美鈴さんのスタイルが確立したタイミングとなりました。

愛川みれいって自由奔放?その決断力にギャップ萌

愛川美鈴さんを知る方なら、名古屋というイメージは必ず出てくるのではないかと思います。それほど愛川みれいさんとは切っても切り離せないキーワードですが、なぜ出身地石川県でもなく、東京の土地でもない名古屋なのでしょうか?

それは錦糸町での大ブレークを経験した後、東京歌舞伎町に戻って活躍を続ける中での出来事でした。当時錦糸町のゆったりした雰囲気に刺激が感じられなくなった美鈴さんは、もう一度、自身の原点である新宿歌舞伎町に戻る決意をします。そこで移籍したのが「CELUX」でした。歌舞伎町の競い合う雰囲気が、新鮮に感じ、モチベーションにつながる時期もありましたが、自身の営業スタイルとのギャップや、売上レースに疲れてしまったそう。

そこで1年のバースデイイベントを機にお店を去ることになります。お店からも、当時付き合っていた彼からも解放され、自由な時間が訪れた美鈴さん。専門時代の友人の住む名古屋に呼ばれ、旅行気分で遊びに行くことに。そんな自由な気持ちで訪れた名古屋の錦、かなり興味本位での体入であったようですが、気が付くと錦の超高級店「GLAMOUROUS」での日々が始まったのだと振り返っています。

愛川みれいの必殺接客テク

様々な経歴をもつ愛川美鈴さんですが、接客にもその柔軟さがあらわれているようで、

その接客術は「カメレオン接客術」と表現されます。

一体どんな接客術なのでしょうか?

母子家庭で育ったみれいさんは、水商売で必須な技術、“甘える”ということがとても苦手。

人に迷惑をかけないようにと気を張ってしまう性格が邪魔をしてお客さんに甘えることができなかったと振り返っています。そこでうまれたのが自分自身を変えるのではなく、お客さんの理想のタイプに変身する“カメレオン”のような接客スタイルでした。

最初からお客さんに自分自身を理解させない、奥深い女性であるということで長い付き合いになるお客さんも多かったそう。様々な表情を見せるみれいさんに、きっと多くのお客さんがもっと知りたい!と感じたことでしょう。自分自身をしっかり持ちながらも、相手を楽しませる精神や柔軟な思考がみれいさんの成功のカギになっているのかもしれません。

日々の積み重ね自分を見つめなおす『美鈴式美容法』

セラピストやエステティシャンの経歴のあることからも美へのこだわりを感じることができますが、現在でも多くの時間を美容にあてている様子がSNSからも伝わっているように思えます。その丁寧な暮らしぶりあってか、どこから見てもぬかりのない完璧な美しさを持つ美鈴さんですが幼少期には乾燥肌をコンプレックスに思う時期もあったそうです。

そのコンプレックスあってか、18年間毎日、朝と晩のボディークリームをスキンケアとして続けているのだそう。幼少期から自分自身のコンプレックスと向き合い、長所に変えていく努力は目を見張るものがあります。美鈴さんのインスタグラムでも日々自分に合った美容を試行錯誤している様子がアップされています。

努力や気を付けているという気持ちはあまりなくて、美容は趣味のような感覚で、日課になっている様子です。美鈴さんのように、毎日欠かさずの続けるのは本当難しいことですよね!美鈴さんの発信する美容は自分に合った美容方法をみつけるというたったそれだけ。実際に自分に合った方法を実践している美鈴さんの姿は多くの女性を元気にさせるのではないでしょうか?

最新の美容は小顔リフトアップのAスレッド

施術法が非常に簡単で、ダウンタイムが短いことから人気のAスレッドをしたと報告する美玲さん。

美玲さんの後悔している整形箇所は鼻尖だということです。手術内容は耳介軟骨移植の鼻尖形成術と鼻中隔矯正術。こちらは鼻背部をいじってないため、全体の鼻のバランスが悪くなったしプロテーゼのようにやり直しがきかないと後悔されています。

美髪ケアにキヌージョのドライヤー

ロングヘア時代はとぅるんとぅるんのうるうる美髪がトレードマークだった美玲さん。普段は美容院で、エクソソーム、コラーゲン、水素×3倍のトリートメントをされているとか。

そんな美玲さんのおすすめドライヤーはキヌージョ。

美を追求し進化し続ける

ミセス関西コレクション2022関東エリア大会では初代グランプリの座を獲得。はじまりから現在に至るまで、どんどん変化を遂げていっている愛川美鈴さん。抜群のスタイルや、整った容姿が注目されますが、その美しさには奥深さを感じさせるものがありますよね。それもすべて美鈴さんの内面や芯の通った姿が表現されているからこその品格なのではないでしょうか?今後も愛川美鈴さんの活躍に期待大です。