先日、早咲きの河津桜を眺めながら数人で花見をしていた時、オフィス勤めの友人が「向かいのデスクの同僚が嫌いすぎて、書類や資料やパソコンで壁を作って絶対視界に入れないようにしている」と話していてつい笑ってしまった。
しかしこれは実際問題、笑い事や他人事でもなく、どんな仕事をしていようと苦手な同僚や取引相手というのは存在するだろう。
それは俺のような在宅勤務のフリーランスであっても同じで、オンラインのパソコン画面越しでも苦手意識を拭えない相手というのはいる。
ましてや店内外問わず横のつながりが重要視される水商売の世界ではなおさらだ。
新宿2丁目のゲイバーで働いていた頃を思い出しながら、俺は缶ビール片手にぼんやりと桜の花ではなく、幹を眺めていた。
水商売人同士の繋がり
ひと言に「同僚」と言っても、やはりサラリーマンと水商売人のそれとでは大きく意味合いが違うのもまた事実だ。
会社勤めなら不仲であれば接触を最低限にすればいいだけだが、水商売においては時に同じ客を接客しなければならないし、その間は親しげに振る舞わなければならない。
夜の世界にテレビドラマや漫画のような熾烈な順位争いが実在するのかはわからないが(ロッカーのドレスがズタズタに切り裂かれていたとか、ホスト同士の殴り合いは顔を狙ってはいけないとか)俺が働いていた新宿2丁目という街でそういう話はほとんど聞いたことがない。女装したニューハーフ2人が路上で「きい〜!このブス!」などと酒瓶で殴り合ってたのを見たことはあるが…。
とはいえやはり生理的に受け付けないような相手と毎日顔を合わせて、仲の良いふりをする、というのはかなりのストレスだろう。
苦手だった同僚
俺にも新宿2丁目で働いていた頃、とても苦手な同僚というか先輩がいた。
当時の俺はある種の「自分探し」で水商売をしているようなところがあり、あまりお金や売上に関心がなかった。オーナーはそんな俺を面白がって雇っていたようだが、しかしその先輩は根っからの水商売人で、その道一本のプロだった。
遊び半分で働き、好きな客とばかり喋り、飲みたい酒しか飲まないような後輩が気に入らなかったのだろう。彼は俺に対していつも厳しく、高圧的だった。
「こいつ話つまんないでしょ」と俺の客に言ったり、わざと俺の分の酒を濃く作ったり、時には客から見えないカウンターの下で足を蹴り飛ばされたりもした。
その男の存在は俺にとって非常なストレスだった。俺には俺独自の魅力があり、なぜそれを理解しないのかと思っていた。
人間の本質とは
しかし、ある営業明けの早朝。あれはそう、ちょうど今ぐらいの季節だった。
最後の客を見送った俺と彼は、珍しく肩を並べて駅に向かっていた。その日はよく客が入り、2人とも飲みすぎてフラフラだった。
少し風が強くて、新宿御苑あたりから飛ばされてきたであろう桜の花びらがアスファルトに散っていた。
それを見た俺は「桜って咲いてれば綺麗だけど散っちゃえばゴミっすよね」と何の気なしに言った。すると彼は「別に花が桜そのものってわけじゃねえだろ」というようなことを言った。
俺は、こいつ意外と詩的なことを言うんだな、と酔った頭でぼんやり思った。酔った頭でぼんやりしていたので、信号が赤なのに横断歩道を踏み出していたことにも気がついていなかった。
そんな俺の腕を彼が掴んでグイッと歩道側に引き寄せてくれた。
「気をつけろよ」と言った彼の声や、俺を見る目や、腕を掴んだ手が、朝の光の中でいつもよりずっと優しいものに感じられた。
その瞬間、俺はこの男のことを少しも知らなかった、いや、知ろうともしなかったのだ、と思った。
俺が見ていたのは着飾った彼の表面だけ。桜の花だけをみて、桜の木そのものを見ていなかったように。
俺は突然自分がひどく浅い人間に思えた。
他人を理解しようともせず、そのくせなぜ俺の良さがわからないのか?と駄々をこねているだけの子供だったのだ。
俺たちは桜に似ている
キャバクラにせよホストにせよゲイバーにせよ、夜の仕事につく理由は様々で、そこには水商売人の数だけドラマがある。そしてみんな自分を守るための鎧や仮面をまとっている。それはこのコラムでも散々書き続けてきたテーマでもある。
しかし余裕のない日々の中で、俺たちは時にそれを忘れてしまう。仮面をかぶっているのは自分だけではない、ということを。表面に咲き誇る花ばかりを見て、それを支える太い枝や、幹や、力強く養分を吸い上げている根を見落とす。
彼とはその一件があった数ヶ月後、俺が店を辞めて以来会っていない。
しかしそのわずかな期間、俺は彼を好きになれた気がしている。
店ではどんなにキツくて金にがめつくても、あの日、桜の花びらが舞う朝日の中で、俺の手を掴んで引き寄せてくれた彼こそが、彼の本当の姿だと信じることができたからだ。夜の世界で見せている顔など、良くも悪くも作り物だ。
もちろん、世の中には「実はいい人だった」なんて美談ばかりではない。どうしようもなく意地悪な人間や邪悪な人間というのは、どこにでも存在する。生理的な相性というのもあるだろう。そういう人間に対しては、できるだけ距離を取る、という対策しか取れない。
そもそも仕事は仕事で割り切って、同僚と無理に仲良くする必要がないという考え方もあるだろう。
しかし一瞬「苦手かも」と思った人間相手にでも、一呼吸おいてから「もしかしたら意外といいやつかも」「面白いところもあるんじゃないか」と、昼職についた今でも考えられる余裕が身についたのは、水商売の世界に身を置いたお陰だ。
他人には、人間という生き物には、それだけの期待を持つ価値があると俺は信じる。
桜の花が咲き誇り、そしてあっという間に散っていくこの季節。
俺は今も彼の優しい方の姿を思い出す。そして舞い散る無数の桜の花びらの中で、その向こうにある地味だけれど力強い木の幹を、愛おしく思う。
その姿はまるで本当の自分を守りながらキラキラと着飾って働いている、たくさんの水商売人たちの姿そのものだ。
そんな俺をよそに、友人はいつまでも向かいのデスクの同僚がいかにムカつく人間であるか、ということを力説していた。まぁ、それはそれで聞いていて楽しいが。