街を歩いていて、ふとかつての恋人が使っていた香水や柔軟剤の香りが漂ってくると、つい振り返って人混みにその人がいないかと探してしまう、というような経験は、誰しも一度はあるのではないだろうか。
香り、すなわち嗅覚は記憶と強く結びついており、一瞬にして忘れていたはずの過去へと我々を立ち返らせるほどだ。もちろんいい思い出ばかりではないが。
香りというのはそれだけ強い力を持っている。だからこそ日常でも仕事中でも、その選び方、使い分け方は重要だ。
俺の部屋の戸棚には今ではもう年に数回しか減らない、青い瓶に入った香水が、静かに眠っている。心のお守りとして。
夜の香りを身にまとう
それは俺がかつて新宿2丁目のゲイバーで働いていた頃、客からもらったチップで買ったブルガリの香水だった。
別のコラムでも散々書いてきたが、暗い性格の俺は有能な水商売人とは言い難かった。
それでも夜の街で戦う道を選んだ理由はよく覚えていないが、デパートの香水売り場で入り混じる様々な香りの中、俺がその香水を選んだ理由は「夜の匂いがする」と思ったからだ。
普段の自分なら絶対に選ばない、大人っぽくて、男らしい香りだった。中性的で童顔の俺には似つかわしくないだろうということもよくわかっていた。
それでもその香水から漂う夜の気配は、間違いなく俺のイメージする東京の夜だった。
俺は仕事中だけ、その香水をつけるようになった。
強く、タフな都会の夜の男を俺に連想させるその香りは、弱い俺の心をいつも守ってくれた。それが錯覚だとはわかっていても、まるで俺自信がタフになったようで、客にいびられようが同業者に嫌がらせを受けようが、動じなくなった。
パワーのある香りにはそんな風に人の脳を錯覚させ、心を守ってくれるような作用がある。
あなたを守るための香りを
仕事中につける香水とプライベートでつける香水を使い分けている水商売人はどれほどいるだろうか。香水というものは何となくお気に入りのもの1本だけを使いがちだ。
これも散々このコラムで書き続けてきたことだが、水商売人は夜の顔と昼の顔のオンオフが何よりも肝心で、それがうまくできないと必ず心身に異常をきたす。必ず、だ。ゲイバーの店子(従業員のこと)でも、ホストでもキャバ嬢でも、そんな同業者を俺はたくさん見てきた。鬱になったり、アル中になったり、肝臓を壊したり、セックスに溺れたり、そして時には死んでしまったり。水商売というのはそれだけストレスの多い特殊な仕事なのだ。
そうならないために、我々は普段は着ないような派手な衣装や源氏名を身にまとい、別の人間に変身する。そしてそれはまとう香りに関しても、同じであるべきではないか。
冒頭にも書いたように嗅覚、香りの記憶というのは俺たちが思う以上に強く、細胞レベルで作用する。随分昔のことでもう誰のものだか思い出せないのに、ふいに嗅いだ香りを自分は確かに知っている、というような。
プライベートの時間。仕事中と服や名前は違くても、まとう香りを変えないことによって夜の世界に心が引っ張られていないと言えるだろうか?本当のあなたと、店でのあなたは別人であるべきだし、別人であるならば、違う香りがするはずだろう。
昼間のあなたに似合う香りと、夜のあなたに似合う香りは別物だ。うっとりするほど美しい瓶が無数に並ぶデパートの香水売り場で、そんな1本を探してみてもいいのではないだろうか。あなたを守る、豊かな香りがするお守りとして。
香水1本で、人は別人になれる
例えばこれを書いている時、つまり仕事中、俺はエルメスの香水をつける。これはまだ駆け出しだった頃、俺の書いたものが小さな賞をとり、そのお祝いとして友人がくれたものだ。水仙のクールで知的な香りはまさに俺の作風そのもの(冗談です)
休日や友人と出かける時はマルジェラで、これは古い図書館の香り。子供の頃から俺は本が好きで、いつも図書館や古本屋に入り浸っていた。古い紙と木の香りは、俺という人間本来の姿に限りなく近い。
記憶にダイレクトにアクセスする香水というのは、大切な思い出や自分自身をいつまでも忘れないでいるためのものでもあるのかもしれない。
では水商売時代使っていたブルガリはといえば、年に数回、本気で朝までのむぞ!騒ぐぞ!クラブで踊るぜ!というような、夜の街を堪能する時にだけ使う。年齢的にそろそろこの香水の出番が減ってくれると体力的には助かるのだが、それでもその数回、俺はまんざらでもなく「やれやれ」なんて言いながらこいつを首元にひと振りするのだった。こいつは俺の本来の香りではないが、誰にだって別人になりたい夜もある。
そう。香水1本で、人は別人になれるのだ。
そしてそんな夜、歌舞伎町や六本木や二丁目を歩きながら、美しく着飾った無数の水商売人たちを眺め、不意にもし香りというものに色があったらなどと考える。
それぞれが違う色をまとっていて、きっととても綺麗だろう。特に、夜の街の中では。