身に覚えのないべらぼうな額が刻まれたクレジットカードの請求書を見て「こ、これは不正利用されたに違いない…」と慌てて利用明細を調べたら、そこにはちゃんと身に覚えのある買い物リストがずらりと並んでいた。なぜ俺はブレンダーなんか買ったのだ。料理なんてしないくせに。
物書きとしてはまだまだ修行中の俺の稼ぎは、正直かなり心もとない。生活はいつだってギリギリだ。
と、いうような話を新宿2丁目のゲイバーでこぼしたらその店のママが「夜だけうちでバイトする?」と、鏡月のウーロン割り(濃いめ)を作りながら言ってくれた。
正直心が動いた。しかし昼間は文筆業をして、夜は水商売、というハードな業務に俺の34歳という肉体が果たしてついていけるかと考えると、どうも自信がない。
昼職×夜職=キャッツアイ?
だが俺はかつてそれを実際にやっていたのだ。
今よりもう少しばかり若かった頃の話ではあるが、昼間は書店で働きながら、夜は2丁目のゲイバーのスタッフとして働くという二重生活をしていた。
お堅い書店員と、派手な水商売、という正反対の職業で二足の草鞋を履く生活は、なかなかハードな日々ではあったが、多くのことを学んだかけがえのない時間でもあった。
何より昼と夜で世界の色が真逆になるようなメリハリのある日々は、飽きることがなかった。いつも寝不足で、慢性的な二日酔いではあったが。
昼間は蛍光灯の下でネクタイを締めて村上春樹の新刊を売り、夕方タイムカードを切った瞬間、ロッカールームで髪型や服装を派手なものに着替えてネオンの中へと消えていく俺の姿は、さながら昼は喫茶店をやりながら夜は怪盗に変身するキャッツアイだった。今俺はうまいことを言った気になっているが、同時にこのネタは若い人には通じないかもしれないと不安でいっぱいだ。
とにかく、あのハードでせわしない時間は、俺にとって不思議な充実感と学びに溢れた日々だった、ということを言いたいのだ。念のため言っておくが、別にレオタード姿で働いていたという意味ではない。
世界の表と裏を見ることができる
昼夜働くことで、単純に稼ぎが増えるというメリットはもちろんある。しかし兼業することの本質的な価値は、別のところにあると俺は考える。
片方の世界では当たり前の常識がもう一方の世界では全く通用しない。そんな風に価値観が常に揺さぶられ続けていく経験は、ひとつの職場だけではなかなかできることではない。ひとつの世界だけを生きていると、その世界の常識や価値観に囚われがちだ。そしてそれは昼職でも夜職でも同じことだ。両方の世界を生きている人間にだけ見えるものが、確かにある。
世界の裏と表をかわるがわる見ることができる、広い視野で世の中を見ることができるようになる、それこそが昼職と夜職を掛け持ちする最大の魅力だ。
どちらかが悪くてどちらかが良いということはないが、俺たちの生きる世界や常識というやつは、昼と夜ではそれぞれこんなにもたやすく形を変える、あやふやなものなのだということを知っておくのは価値あることだと思う。なんというか、生きていくのがとても楽になるし、柔軟に生きられるようにもなる。
昼職と夜職の相互作用
昼職と夜職という正反対に思える仕事を掛け持ちすることで、それぞれの職場で学んだ知識やノウハウがもう一方の仕事で役立つということも、意外なほど多い。
例えば俺の場合。書店というのは実は客からクレームが非常に多い職場なのだが、正直夜の街での酔っ払い達のダル絡みに比べれば、赤子をあやすレベルにしか思えなくなる。笑顔で聞き流し、相手を持ち上げ、タイミングのいいところでご退場いただく、という水商売の基本技がそのまま使えた。うざい上司をさばくのにも使える。シラフのクレーマーや小言の多いお局上司など恐るるに足らない。
そして夜の世界。夜の世界には、水商売一本というプロが数多くいる。それはもちろん尊敬すべきことだし、簡単なことでもないだろう。
しかし夜の世界だけを生きていると、どうしても夜の世界の常識や話題、ノリだけに染まりすぎる、という面もある。そのため、染まりすぎていない、昼の匂いがする水商売人を好む客も少なくない。夜職に不慣れな自分は売れないのではないか、という不安はあまり気にしなくていい。むしろそれこそが武器になる。
ただ俺個人の経験としては、夜職でしこたま飲んで、酒が抜けきらないまま出勤した昼職で上司に向かって「何よアンタ偉そうなことは酒飲んでから言いなさいよこのブス!」とつい(オカマ口調で)言いそうになったことは何度かあるので、飲み過ぎにだけはとりあえず注意してほしいと思う。
どちらかに偏らない、昼職と夜職をごっちゃにしないバランス感覚は必要とされるだろう。
兼業は自分探しの旅である
兼業で昼職と夜職の世界を行き来することで、お金だけではなく、柔軟に生きる力や広い視野が身につくことは間違いない。
それなりにハードな働き方であることは間違いないので、長く続けられるかというと疑問だし、決して無理はしてほしくないのだが、俺のように「終電まで」など、水商売の働き方も多様化している。
このサイトの他のライター様が書いた記事に夜型・朝型は遺伝子で決まっているという興味深いものがあったのだが、水商売に興味はあるが自分につとまるか不安だという人は、まず兼業で夜職に挑戦することで自分を試すことができるのでおすすめだ。両方の世界を自分の目でリアルタイムに見比べて、その上で自分の生き方・生きる世界を考えればいい。そこに正解や不正解はない。選択肢があるだけだ。
結果俺はこうして売れない物書きとして昼の世界を生きることを選んだのだが、人によっては夜の世界を選ぶ選択肢ももちろんある。兼業はある種の自分探しの時間とも言えるかもしれない。結果的に昼の世界を選んだからといって夜の世界で働いた経験が無駄になるわけではないし、逆もまたしかりである。
あの時、夜の世界を生きることを選んでいたら、俺の人生はどうなっていたのだろうか?
かつて新宿2丁目のキャッツアイだった自分にそんな思いを馳せながら、俺は今日も必死に筆を磨くばかりだ。何はともあれ、俺は「こっち」を選んだのだから。
電車賃を浮かせるために、これからはキャッツアイのようにローラースケートで移動しようかな、なんてまたAmazonを覗いて無駄遣いの算段をしている場合ではない。